Vol.4 僕のコダクローム



"They give us those nice bright colors"

"They give us the greens of summers"

"Makes you think all of the word's sunny day"

1973年、ポール・サイモンが歌った「僕のコダクローム』の一節にこんな歌詞があったけれど、僕にとってはこの歌詞のように、フィルムといえばコダクロームしか思い浮かばないのである。

マジェンタの発色の素晴らしさ、深みのある色、すべてがコダクロームにはあったような気がする。

そんなわけで、70年代はこの歌のようにコダクロームの世界だと言ってもいいだろう。

サーフィンの水中撮影のときでさえ、IS064と今では考えられないほど低感度なフィルムを使っていたのだから、よほど気に入っていたのだろう。あの当時は写真を撮る行為すべてが儀式のようで、カメラはそんなにも簡単には撮らせてはくれなかったのだ。

まず、フイルムを入れるところからすべては始まるのである。すべてが儀式のごとく執り行われて初めてカメラに命が吹き込まれる。そして、この一連の儀式のなかでも「36」と言う数字は、あたかも錬金術師の秘密の手帳のなかにあるような、とても重要な数字なのである。

36枚。

すなわち、1ロールのフィルムを撮り終えれば、それでおしまい。

フィルムを巻き戻して、新しいフィルムを入れてまた撮り始めるという、今では考えられないほどプリミティブな作業が執り行われていたわけで、僕らもそれが当たり前のことだった。

今考えると、かえって一枚一枚に集中できてよかったと思う。

「一写入魂」。そんな気持ちで36枚を集中して撮っていたのだろう。

撮ったフィルムは、現像という儀式を執り行なってやっと見れるようになるんだから、相当ノンビリした時代だったなと思う。たった今現像されたばかりのフィルムをライトテーブルに乗せ、ルーペで覗くあのワクワクは、もうデジタルでは感じられないのかもしれない。

とはいえ、いまの僕の仕事も99%がデジタルの環境だし、「早い、安い、暗くてもOK」と何でもありのデジタルに世界が向かっているのも、あながち理由がないわけではない。特にサーフィンの写真、水中撮影にとっては、かつての「36」という数字の呪縛から解き放たれたことは本当に素晴らしいことだと思う。

その昔、ニコノスにフィルムを詰めて一人沖に向かって泳ぎ、それこそ一枚一枚数えながら波と格闘しつつサーファーを追いかけていたころが夢のようだ。機材も環境も進化はしたけれど、あの昔に見たコダクロームの色がいつまでも頭から離れないのは、僕だけではないのかも知れない。

写真•文/横山泰介

『COLORS MAGAZINE.COM』(2014年 ネコ・パブリッシング)掲載記事

マーク・リチャーズの写真は、1983年。ノースショア、プレスリー(多分)の別荘と思われる豪邸の外で撮影。この肌の色や赤の深みのある発色こそ、コダクロームならでは。

何年だったか忘れたけど、40年くらい前。アメリカからメキシコに入る国境の町で。コダクロームはアンダーで撮るのが好きだった。この雰囲気がなんとも言えない。

京都のコーヒーショップでのスナップ。ネオンサインの赤はたまらなくセクシーになります。いい具合にシャドウが映えるんだよね。オーシャングライドの兵藤くんは20代。

フィリピンの市場。雑踏の中に浮き上がるカラフルな彩りが、コダクロームで撮ると、暗部が潰れず、ハイライトが飛ばない。それぞれに馴染みながらも絵画のように印象的になるんだ。

80年代。サーフマガジンの広告で撮った1枚。西湘のプロサーファー青田琢二くん。コダクロームが映し出す色の微妙が好きだった。彼が着てきた黄色のセーターとブルーのパンツに、僕のシャツとピンバッチをコーディネイト。手に持った工事用のランプはランチマーケットで買ったもの。中にストロボ仕込んで、板に当てるストロボ、モデルに当てるストロボと、いっせいに3台を同期させて撮影した。デイライトシンクロ。