
<バリで出会った新妻さんを語る>
手紙もってるんだよ。
新妻さんは京都大学の理学研究科で、ボルネオでオラウータンの研究をしていて本も出されていたんだ、もう亡くなってしまったんだけどね。
京都大学ってほんと有名なんだよ。チンパンジーや猿、オラウータンの研究。だからボルネオにいたわけ。あの当時ずっと研究でボルネオに行ってたんだね。
それまででまったく自分とオラウータン以外誰もいない世界でオラウータンの研究をしているから、いざ帰国っていうときに中継点がバリだから日本人がいるって聞いたんだろうね。それで無性に日本人に会いたくなって、僕の泊まっている宿に来た。それまで猿と話していたって言ってたから、日本語をしゃべりたくなったらしい。僕がいないときで、宿に書き置き残していったから、訪ねていったの。そしたらランプの灯ってる下に、ぼーっとひとりで座っていて、「新妻さんですか?」って言ったら、ハッと気づいて「あぁ~、日本語だ!」って。
「どうしたんですか?」で言ったら、「僕ねぇ、ずぅっとオラウータンとしゃべっていたんだよね」って。
最高の人でしょ!ほんとうに話が合うんだよそういう人と。しかもバリでさ。
そういう接点ってすごくない?
でも、それはおんなじように、ジャック(マイヨール)やハワイアンのタイガーエスぺリと、カロルド・カスタネダとか、、ああいう精神世界に行くわけ、でも僕は別に間違っていないと思う。
すごい人だったな。
今はなんでもネットで調べて何処でも行けちゃうけど、あの人たちは、自分たちでジャングル切り開いて、自分たちで行くじゃないですか。
45年くらい前だね。30歳の時だった。
<その頃を振り返り>
あの頃のクタには波乗りしに来てた知り合い以外日本人はほとんどいなかったし、僕が泊まっていた宿はまだ電気が来ていなくてランプだった。僕もビザをエクステンションして2ヶ月か3ヶ月いた頃で、お互いに日本人が恋しかったんだと思う。何度会ったのかも覚えていないけど、その晩の記憶はとても濃厚で、話が途切れることはなかった。どこか深いところで理解しあえる、共通言語を僕たちはもっていたのだと思う。
新妻昭夫プロフィール
1949年、札幌に生まれる。北大ヒグマ研究グループ出身。京都大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。専攻は動物学、博物学史など。恵泉女学園大学教授、同大学園芸文化研究所所長をつとめた。2010 年11月9日死去。
著書に、『種の起原をもとめて』(第51回毎日出版文化賞受賞、朝日新聞社、1997)、『ダーウィンのミミズの研究』(絵=杉田比呂美、福音館書店、2000)など。訳書に、A・R・ウォーレス『マレー諸島』(ちくま学芸文庫、1993)、同『熱帯の自然』(共訳、平河出版社、1987)、A・C・ブラックマン『ダーウィンに消された男』(共訳、朝日新聞社、1984)、S・J・グールド『フラミンゴの微笑』上下(早川書房、1989)、同『神と科学は共存できるか?』(共訳、日経BP社、2007)、E・マイア『進化論と生物哲学』(共訳、東京化学同人、1994)、G・ホワイト『セルボーンの博物誌』(小学館地球人ライブラリー、1997)、R・マッシュ『新版 恐竜の飼いかた教えます』(共訳、平凡社、2009)など。<みすず書房 HPより>
あたらめて、新妻さんのことを検索していたら、その人となりが伝わってくる文章を見つけた。ここに引用させてもらいます。
新妻昭夫先生を偲ぶ会式辞
「スピリチュアルなナチュラリスト」
川島 堅二
恵泉で働く同僚を私は努めて「~さん」付けで呼ぶようにしている。それ でも「先生」付けで呼び返されることが多いのだが、研究室も隣り同士である 新妻さんは、私のことを「川島さん」と呼びかけてくれる数少ない同僚の一人 だった。(中略)
それは 3 年前の 2007 年に、恵泉の人間環境学科の同僚であった古谷さんら と共訳で出された現代進化生物学の代表者の一人、スティーブン・グールド の著作『神と科学は共存できるか?』に寄せた一文である。それは翻訳書に 添えられた解説文のような位置づけだが、50 ページ近い分量のもので、解説文の域を超えた、新妻さん自身の信仰告白的内容を含む大変興味深いものである。私のようなキリスト教徒には深い慰めとなる次のような言葉を残し ておられる。 「私は北海道という外地で生れたせいか、日本の伝統宗教よりもキリスト教に親しみを感じながら育った。いまはキリスト教系の女子大という職場 にいて、掛け値なしに『善良なキリスト教徒』の同僚や学生を何人かは知っている」。さらに続けて「若い時から世界各地を放浪する癖があり、さまざま な宗教を信仰する人々と出会ってきた」と述べて、北アフリカ、アフガニスタン、インドネシア等で宗教的な日常生活を送っている人々との心温まる経験を紹介している。 そして、現代進化生物学を代表する三人の学者、すなわち行動生態学者の ドーキンス、古生物学者のグールド、そして社会生物学者のウィルソンを自分はこれまで好んで読んできたけれども、その理由は「自然界の驚異に魅了される喜び」「センス・オブ・ワンダー」「スピリチュアルな歓喜」を、読書する ことで得たいがためだったと言いきっておられる。 そういう新妻さんを「スピリチュアルなナチュラリスト」と呼んだら、おそらく新妻さんは「そんな大仰なものではない」と否定されるだろう。しかし、「スピリチュアルなものを決して排除しないナチュラリスト、自然学者」とい うことなら受け入れてくださる気がする。(後略)
彼との話を思い出しながら、あの当時のバリの写真を探すことが僕のミッションとなった。40年以上、写真を撮り続けてきた僕の過去の写真のストックは、気が遠くなるような量になっている。仕事場で1日中探してみたけれど見つからない。どこかにはある、という確信はあるから、今度は1日中、倉庫のポジを掘り出して探してみる。と、やっとのことで当時のモノクロネガが何スリーブか見つかった。1枚1枚、懐かしい気持ちと共にルーペで覗き、その何枚かをスキャンするうちに、パッと現れた顔にハッとした。「これ、新妻くんじゃないかな?」。
彼の写真を撮った覚えも、もはや顔も遠い記憶となっていたけれど、写真家として、人の顔を認識するのは生業。
先日見つけた、新妻昭夫さんを偲ぶ会のリーフレットで拝見した、今の僕と同年代のお顔と見比べてみて、間違えなく彼だ、と思えた。いい顔をしている。当時もかっこいい人間だったんだ。何か一本軸の通っている顔をしている。
その頃の僕の写真も出てきた。30代のはじめ。今のバリとはまったく違う現地の写真が、懐かしく感じる。
<聞き手後書き>
30代はじめだった頃の泰介さんと新妻さん。
初めて泰介さんがバリで出会った、霊長類を研究している新妻さんの話を聞いた時、
若い泰介さんが出会ったのは、学者然とした年配の男性、と想像した。オラウータンとだけ話をしてきた長年研究を続けてきた人物だと。でも、そこにいたのは、泰介さんと同年代のまだ若い青年。こんな青年がジャングルに入って研究を続けていたなんて、なんて素敵なんだろう。彼は何を考え、その後の人生はどんなふうだったのだろう。と思わずにはいられない。
互いに日本が恋しくなり、彼の地で出会ったのは、偶然であり、必然。
「自然界の驚異に魅了 される喜び」「センス・オブ・ワンダー」「スピリチュアルな歓喜」を
共感できる同士との出会い。
でも、その後連絡を取り合わなかったのですか?という質問に、泰介さんは言う。
手紙は何度かもらっていたんだと、彼のことを遠い目で思い出す。
「手紙もってるんだよ」
この物語の最初に、泰介さんがつぶやいた言葉は、
新妻さんという人物についての何かを語る。
その後、交流はなかったけれど、
30代はじめのあの日、
人生のなかでほんの一瞬かもしれないけれど
一晩語り明かしたことが
どれだけ深い時間となったことか。
いま、新妻さんのその後の人生を改めて知り、どう思っているのだろう。
