
今でこそ、サーフィンの撮影で「当たり前」となっている一眼レフのオートフォーカスだけれど、長いカメラマン人生の中では、それが最新のツールとして導入された瞬間を目の当たりにすることもあった。
1985年に発売されたミノルタの「アルファ7000」は、初めて実用に耐えるオートフォーカスを取り入れた一眼レフカメラだった。その手のオートフォーカス機構はコンパクトカメラにはすでに搭載されていたけれど、一眼レフカメラとしては画期的。それまでの一眼レフカメラはレンズ内駆動のオートフォカスだったから、全く実用的とは言えなかったんだ。アルファ7000でボディ内にオートフォーカス機構を搭載した事によって、飛躍的に一眼レフカメラの「オートフォーカス」の精度が上がった。



その当時、丸井が世界大会を日本に招致して新島と千葉で大会を開いた。スポーツ新聞の大会速報という、試合の様子を写真付きで報告する記事の仕事が、なぜか僕に来た。多分、サーフィン雑誌で新島や千葉に撮影でしょっちゅう行ってたからかもしれない。そんなわけである日、新聞社の担当記者がやって来て
「うちはスポーツ新聞だから、最新の機材を用意できますよ。野球とか他のスポーツ取材では使ってますから」って言う。それで僕に「横山さん、持って行きますから、どうぞ使ってください」って。ミノルタの機種を貸してくれたんだ。
ミノルタの最新バージョン、アルファ7000。コニカがコンパクトカメラで出したオートフォーカスから、8年くらい経って、ミノルタが一眼レフで快挙的なオートフォーカスを実現したんだ。もちろんフィルムの時代だよ。一緒に600mmのレンズも持って来てくれた。
その頃、僕らはサーファーのライディングを追いかけながら自分の手でフォーカス送っていたんだ。動いている被写体にピントをしっかり合わせるのは大変なことなんだけれど、それができて一人前っていうのもあった。でも、岸まで乗ってくるとサーファーは、ファインダーの中ではどんどん大きくなってきてしまう。沖から来るのを撮りながら追ってきて、手前まで合わせ続ける、それがなかなか難しい。フォーカスリングを手で回してたから、回しているうちにだんだん岸に近づいて来ると、600ミリだと被写体がすごくでかくなる。で、ギリギリになってもう回しきれなくなっちゃう。でも選手は、岸近くの最後のライディングで技を決めたりする。当時の流行りのローラーコースターとか。追っかけるこっちも撮るのが大変なわけだ。



それでミノルタのオートフォーカスのカメラを貸してもらって、でもそれまでは、手で合わせるのが主流だったから、本当にちゃんと合わせれるのかって半信半疑だったけど、ちょっとテスト撮影してみたら、「コレ、いけるじゃん!」って。岸の近くまで乗ってきたやつにフォーカス合わせると、ピシって合っちゃうわけさ。それでコンテスト当日になってそのカメラを海に持っていったら、周りの知り合いのカメラマンが、「タイちゃん、そんなの使えるわけないじゃん」って言うの。それはそうだよね、誰も使ったことないわけだから。果たしてそれが本当にオートフォーカスで最後まで追い切れるか、やっぱり不安だし。彼らの意見ももっともだよね。でもね、本番でもちゃんと使って、その写真を新聞に載せたわけ。それでみんなの見る目が変わったんだろうね。
実は、プロカメラマンとしては、ライディングを追ってフォーカスを自分の手で合わせていけることが、ある意味、誇りだったりもしたんだ。でもその経験以来、そんなの一切なくなった。
僕は、今でもそうだけど、「なんでもやってみなきゃわからないじゃん」って、やってみるタイプなんだけどね。今の世の中、オートフォーカスは、もう当たり前。でも日本で、サーフィンの試合で最初にやったのは、間違えなく僕だよ。
あとね、さらに驚いたのは、ネガフィルムで撮ってくださいって言われたこと。それまで僕らサーフィン雑誌の仕事はポジフィルムだったから、びっくりだった。千葉で試合がある時には、その日撮ったネガフィルムを試合会場までバイク便で取りに来るんだ。直ぐに本社で現像して、次の朝刊に間に合わせる。新島での試合の時なんかは、島にある写真屋さんに頼んで直ぐに現像して電送してた。野球や他のスポーツの取材なら普通だったんだろうけどサーフィンでは初めてのことだったと思う。
初めてだらけの取材はとても刺激的で楽しかった。新聞社の記者も同じ民宿だったから、空き時間に波乗りを教えたり、夜は島に数件しかなかった飲み屋に行ったり楽しかったな。
丸井の大会は海外のトッププロサーファーがやって来てたから、試合の合間にポートレート撮影もさせてもらえたし、今となっては貴重な写真を残せたと思う。

80年代半ば、新島で撮影した試合前のオッキー。優勝したらヒーローインタビューをするからあとで撮影をさせてくれって伝えたら、自信満々で、「こんな格好じゃなくて、タキシードでも着ないとね!」って言ってた。でも試合に負けて、憤慨してそのままオーストラリアに帰っちゃって、取材には現れなかったんだ。つい先日、オッキーが来日して、ビラボンのイベントで写真撮らせてもらったときにその話をしたら、「そんなこともあったよね!」って、大笑いだった。40年を過ぎて今尚、彼はヒーローだね。



1985年の新島では、トム・カレンとかオッキーやポッツが来てた。
大リーガーの大谷選手もやってたけど、トム・キャロルが優勝して日本の兜かぶったのが、丸井の大会からだ。リサ・アンダーソンも来てたな。すごく上手くて、女の子なんだか、男の子なんだかわからないくらい。今でいう、ステファニー・ギルモアみたいだった。
新島では、選手たちの羽目の外し具合もやばかった。特に海外の選手たちは日本人の女の子に人気があったし、きっと若かった彼らの記憶の中にも、楽しい思い出が有るんだろうな。
丸井の大会の時代は、ケリー・スレーターたちがまだ登場する前。サーフィン界で、今では「レジェンド」と言われている選手達の10代、20代の最高なサーフィンを撮影した。そう、オートフォーカスでピントの合った写真を初めて撮れた時の事は、僕にとっては、忘れられない思い出なんだ。
