Vol.2 KUPU KUPU 蝶々屋さん バリで出会った蝶々屋さんを語る


もうひとつは、僕が蝶々屋さんって言ってた人たちだね。

バリで僕らの泊まっている場所に彼等がいたのね。サーフィンしないんだよ。いつも楽しく酔っ払ってる感じだった。一緒に飯食ってて、

蝶々が飛んでると、「あ、五千円が飛んでるなぁ」って。「へ?」って聞くと、「あの蝶々は日本では五千円なんですよ」ってこともなげに言って、また飯食ってるわけ。ボルネオ行くと、蝶々1匹、2、3万とか。あの当時だから。それってさ、こういうビジネスがあるんだなって知らなかった。

何やってるかっていうと、蝶々捕まえて、腐らないようにナフタリンと一緒に三角の紙に入れてストックしておいて、溜まると日本に持って帰って売るわけ。

モルフォって蝶、知っている? ブラジルの綺麗なブルーに光る蝶。そういうのをお医者さんとか高く買うんだって。バリ島周辺は蝶々の天国みたいなところだから、それを狙って彼らは居たんだよ。

でも、言ってることがやばい! 三、四人仲間がいて、メインは二人なの。

「ちょっと行ってきます」ってバリから、当時だよ。未開の島みたいなところに行って、捕虫網とパラフィンの三角紙、あとナフタリン持っていって、現地の人達に捕まえた蝶々の保存法を教えるの。ある程度獲れたら手紙で知らせろって、網とか一式置いてくわけ。

昔は、郵送だからね。バリのポストオフィスに手紙が貯まるまでいるわけよ。何ヶ月もいて、手紙が来て、ある程度たまると、「あぁ、手紙きたから行ってきますわ」って行っちゃうんだよ。そのすんごい島に。

僕がバリに行ってすぐのときだから、初めて会った人たちなんだよ。とんでもないわけよ。20代後半か、30代あたまくらいかな。佐藤くんが、一緒にビジネスしようよって言うから、ハリウッドランチマーケットのゲンさんからバリで洋服作る仕事貰ったの。

でもねそのときに、当時のバリで流行してしてたクタフィーバーって風土病にやられて、こんな熱が出たこと、いまだかつてないからね。すごい熱だしてヒーヒー言っているときに、その蝶々屋さん中のひとりのひとが耳元でささやくわけ。

「大丈夫だよ、横山さん。俺なんかさ、蝶々探しにインドネシアの名前もないような島のジャングルの奥の村で病気になって倒れてね。それに比べたら、ここは病院があるから大丈夫ですよ」って。

でも結局、3日間くらい治らないから、ほんとひどかった。そのうちに呪い(まじない)師のようなの呼んでくるとか。笑い事じゃないんだよ。ほんとなんだから。。。バナナの葉っぱをね、茎を輪切りにしたやつを広げて、お腹に巻くといい。とかさ。そんなのが効くっていう程度はとっくに通り越してた。しょうがないから結局クタの病院に行って、お尻にブンって注射打ったら、もう次の日には熱が下がっちゃった。

でも、正直、その人が言った言葉に救われたんだよね。世の中にはすごい人たちがいるんだなって。

ある時、「後輩が来た」って言うからどんな奴が来たのかなと思ってたら、おんなじコテージの横だからさ。みんなでワイワイ騒いでたら、すごい真面目そうなやつがいきなり俺のところに来て、「聞いてくれます?」って。どうしたの?って言ったら、

「あの先輩はね、今こんななってるって僕全然しらなかったんですけど、蝶々を売って生活しているなんて冒涜です! がっかりしました。あの人ね新種の蝶々に自分の名前があるんですよ」って。それで俺が「えぇ~~」ってびっくりしたわけ。「でもさ、かっこいい生き方じゃん」って言ったの。普通だったら、学者みたいになっちゃって、日本だったらなんとか先生って言われて。一切関係ないからね、あの人たちって。もうほんとに昼間から、みんな蝶々みたいに飛んじゃって。サーフィンするわけじゃないんだよあの人たちって。ぜんぜん、サーフィンのサの字もやんないんだから。

でもそれも人生、最高じゃん!

<その頃を振り返り>


蝶々屋さんたちのことは、今となっては名前はもちろん、顔さえ覚えていない。

興味本位でネットを調べてみたら、ナショナル・ジオグラフィックのこんな記事が見つかった。


「インドネシアの蝶ハンターとミスター・ニシヤマ」

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/072600330/